中)市民 続けるから意義ある 埼玉
今、できることを 震災5年2016.3.10 07:05更新
■「ボランティア」「合唱」「元気市」
◆現実知るために
「本当に祈りをささげたい人たちは、報道取材を避けて、深夜にここを訪れているんです」
昨年7 月、東日本大震災の津波で骨組みだけが残った宮城県南三陸町の防災対策庁舎を見学した安藤碧(みどり)さん(18)は、現地の人からそう教えられた。「中 にはもう震災を思い返したくない人もいて…。悲しみの深刻さを感じました」。来なければ分からなかった被災地の現実があった。
「高校生に も何かできることはないか」。県立川越総合高校の生徒らは平成23年の夏休みにそう考え、10月から被災地での浜辺の清掃や農地の復旧作業に励んできた。 申し込みは毎回定員を倍上回り、計9回、延べ360人が参加。県教委によると、5年後の今も年間70人規模で支援に取り組む高校は珍しいという。
「思っていたより、ずっと復興は進んでいなかった」と、2年時に参加した岡部彩人さん(18)。3年間参加した田中伶奈さん(18)と安藤さんは、昨年の文化祭で宮城県気仙沼市の特産品の販売を提案し、3万円余りを同市へ寄付した。
3人は今春、それぞれの道へ進む。田中さんは「現地で何ができるかより、行くことに意味があった」と、後輩の背中を押す。
◆歌に願い
「震災で受けた不安や恐怖を表現して!」。和光市の中央公民館で2月下旬、モーツァルトの「レクイエム(鎮魂歌)」を練習する市民合唱団の姿があった。講師の指導に、団員らは感情を歌にぶつけた。
同市では震災後、市内や隣接する都営住宅に多くの避難者が身を寄せた。市民文化センターは震災の影響で約8カ月間閉鎖。2年後の25年3月9~11日、避 難者へエールを送ろうと、団員や市民オーケストラなどが中心となって同センターで復興へのチャリティーコンサートが開催された。今年も8~13日、チェロ や合唱団のコンサート、被災地写真展などが行われる。
「震災を忘れないことは自分たちにとっても防災につながる」と実行委員長の江頭康仲さん(66)。復興への希望を込め、ロシアからの独立に立ち上がるフィンランド国民を歌ったシベリウス「フィンランディア」も披露する予定だ。
「言葉では伝わらない思いを、歌声から感じてもらいたい」
◆被災地も地元も
「東北人は根性があるから大丈夫だけど、復興には関東の人の力が必要なの。だから元気を出して、頑張りなさいよ」
23年4月、炊き出しで仙台市を訪れた飯能商工会議所副会頭の金子堅造さん(72)は、被災した高齢女性に逆に励まされた。胸を打たれ、「被災地も地元も元気になるような、にぎやかなことをやりたい」。翌年から、飯能市で「震災復興元気市」を始めた。
5回目の今年は、被災地14市町の商工会議所などから約80人を招き、三陸の海のホタテやウニを販売。5、6の両日で過去最高の5万8千人が足を運んだ。
昨年は募金や収益から100万円を被災地へ届けた。目標は10回連続開催だ。「続けて支援するから意義がある。10年たつ頃には、きっと復興も終わるはず」。そう願っている。(川峯千尋)